報道カメラマン・石川文洋氏のベトナム戦争の写真を、何故沖縄市で展示するのでしょうか。
 米国のベトナム戦争への全面介入が始まって以来、米軍の兵站を担ったのは沖縄の基地であり、出征前または帰休兵たちがつかの間の自由を謳歌するために過ごした場所はコザ(沖縄市)を中心とした沖縄の歓楽街でした。
 ベトナムから送られてくる壊れたトラックの修理をしたのは米軍基地で働くウチナーンチュでした。負傷兵を受け入れる軍病院で医療器材の点検・修理や、戦場へ送る物資の補給管理も米軍基地で働くウチナーンチュが担っていました。
 米兵相手の商売をする人々、米軍基地で働く人々、どちらにもベトナム戦争は切り離すことのできない出来事であり、言葉を変えると沖縄はベトナム戦争の後方支援の場として存在していた面があります。
 ベトナム戦争と時を同じくして石川氏が沖縄で撮影をした写真には「基地労働者」として働く人があります。基地で働きながらもその人たちが組織する労働組合「全軍労」は、基地撤去・反戦平和を訴えています。その先には、「本土なみ復帰」を望む声があります。
ベトナムへ向かうB52が発着した嘉手納基地を抱え、米兵たちで溢れる歓楽街を擁していた沖縄市はそれらのことから何を学び、未来へ向けて何をすればよいのでしょうか。
 ヒストリート本館の展示とⅡの石川写真を併せてご覧になることで、より理解が深まるものと思います。