☆★移転オープン記念企画展①「コザ ゲート通り」★☆
 ヒストリートが移転し、初めての企画展となります。
 新しいヒストリートがゲート通りに位置するということから、今回の企画展は「通りの歩み」に焦点を絞ってみました。 ゲ-ト通りは、戦前、胡屋十字路から嘉手納に至る県道の一部で、県道沿いには胡屋や上地の家屋や商店が点在し、また嘉手納の製糖工場にサトウキビを運搬するトロッコも敷設されていました。
 沖縄戦を経て1949年頃から八重島に米軍相手の歓楽街「ニューコザ」(裏町とも)が誕生したのを皮切りに、同時期にコザ十字路一帯の歓楽街が、そして50年頃にセンター通り(現、中央パークアベニュー)などが形成されていきますが、ゲート通りは一帯が開放される53年ごろまで待たねばなりませんでした。
 53年、上地東原(ゲート通りの南側)他が開放され胡屋十字路を中心とする都市計画が進められると、通りは急速に開発が進み、やがてはセンター通りとともにコザ市(現、沖縄市)を代表する歓楽街として生まれ変わります。
 ゲート通りはまさに基地の門前町として発展を遂げますが、やがて、特に日本復帰以降、円高ドル安、大店法の段階的緩和などのあおりを受け、不況の嵐に見舞われます。
 これに対し、通り会や市当局は“夜の町からの脱却”を目指し「空港通り」へと名称の変更(73年)、県道沿い初のカラー歩道化(80年)、公衆トイレの設置(97年)、ゲート2フェスタの開催(97年)、「コザゲート通り」へとさらなる名称の変更(2005年)、「ゲート通りで朝食を」(2016年)、そしてエイサー会館の開館(2018年)等、さまざまな取り組みを行い、現在に至っています。
 企画展では、通りの成り立ち、往時の通りの店舗構成(1970年)、センター通りとの異同、ゲート通りを舞台にしたコザ暴動(騒)動、全軍労のデモ、ゲート2フェスタの様子等々、盛り沢山の内容で「ゲート通り」に迫ってみました。
 皆様におかれましては、通りの歴史のみならず、地域の活性化に取り組むさまざまな活動をお汲み取りいただければ幸いです。

☆★移転オープン記念企画展②「嘉手納基地 家族住宅~開発・建設の風景~」★☆
 本企画展は、立命館大学文学部 加藤政洋研究室発行の報告書『嘉手納基地 家族住宅~開発・建設の風景~』(2017年8月21日発行)に基づくものです。
 加藤政洋教授より、上記報告書および発見したフォトアルバムの現物が本市に寄贈されました。アルバムの装丁は木製で、着色・絵付けがなされており、米国人向けの土産品といった体裁です。
 内容は本展解説等にゆずりますが、1950年代初め、沖縄において本格的に始まる恒久的な基地建設の一端と、基地内集落跡地の開拓経過を垣間見る事ができる大変貴重な資料を、今回市民の皆様にご紹介する機会を得ました。加藤教授には重ねて厚く御礼申し上げます。

※好評につき開催期間(~10/28)を延長し、11月25日(日)まで公開いたします!