処理中

Pick Up! トピック

カテゴリ
全て (160)
広報おきなわ (160)

戦後文化シアター 今月のヒストリート「企画展『コザの刺繍展』、開催します」


 日本復帰前、コザの歓楽街を代表するものに「Aサインバー」があります。米軍管轄の営業許可証である「Aサイン」を持つ店舗の売り上げが、ベトナム戦争当時(一九六〇~七五年)にはコザ市の収入の八〇%を占めたともいわれます。戦地手当てとして多額の報酬をもらいながら、明日をも知れぬ命の米兵たちは、街に繰り出し、惜しみなくお金を使っていました。
 同じ頃、コザの歓楽街「センター通り」「ゲート通り」「照屋黒人街」でAサインバー以外に、米兵相手に盛況を極めていた職業に「刺繍店」があります。ジャンパーや帽子に刺繍を求める米兵や、米軍からの大量の階級章やネーム刺繍などの注文に追われ、当時の刺繍店経営者からは「眠る間もなかった」「店中の商品が買い占められたこともある」という話が聞けました。
 今回、「コザの刺繍店」をヒストリートの企画展として取り上げました。刺繍店経営者の話からコザで刺繍職人を育てる役割を担った人物や店もわかりました。コザの刺繍の歴史をまとめ、それぞれの店の刺繍作品も展示します。ぜひ、ご覧ください。
広報おきなわ(№404)/2008年(平成20年)2月号

戦後文化シアター 今月のヒストリート「沖縄市の映画館」


 昨年八月末、市内にあった二つの映画館のうち、島袋琉映館が閉館しました。同館はコザ市で映画館が乱立していた一九五九年二月、山里にオープン。その後、レジャーの多様化やビデオ普及による映画産業斜陽化の荒波を乗りきってきましたが、客の減少による営業悪化のため四十八年の歴史に幕を閉じたのです。
 かつて、各映画館は宣伝のため、上映中の映画ポスターを地域各地に掲示していた時期がありました。島袋琉映は山内小・中学校の通学路にもポスターを掲げていましたが、当時は一般の映画だけでなく、成人映画も堂々と宣伝していました。登下校の際、成人映画のポスターの掲示場所に児童生徒がさしかかると、おしゃべりがピタリと止み、子ども達はうつむきかげんにその場を通りすぎていきました。七〇年代半ば以降、通学路にポスターは掲示されなくなりましたが、やはり何らかの働きかけがあったのでしょう。なんとなくアバウトだった昭和の時代。
 再開した「しーぶんかん」で、島袋琉映の入場券各種、料金表示板などの資料を展示しています。ぜひ、ご覧下さい。
広報おきなわ(№403)/2008年(平成20年)1月号
【写真キャプション】島袋琉映

戦後文化シアター 今月のヒストリート「ジュークボックス」


 あっという間に師走です。今年は6月に音楽喫茶ブーケが、8月には島袋琉映館、10月に京都観光ホテルと、長年沖縄市の顔だった老舗が閉店(館)しました。時代の流れと共に薄れていく記憶を確かな記録として残していくことの大切さを感じています。
 さて、今月紹介するのは「ジュークボックス」です。ジュークボックスは一九二〇年代にアメリカで発明され、沖縄には60年代前後に入ってきました。始めは基地内のクラブで利用されていたものが民間に払い下げられ人気を得ましたが、カラオケ等の普及により姿を消していきました。
 でも、ヒストリートでは今でも大人気。「レコードって何?」と尋ねる小・中学生から「あー、懐かしい」と言う熟年層までジュークボックスから流れ出る音にしばし時を忘れるようです。なるほどと思ったのは熟年女性たちの言葉。「男の人には懐かしくても私たちは外で遊んだこともないし初めてよ。ドキドキするさ。楽しいね。」
 忙しい年末のひと時、あなたもヒストリートで懐かしい音楽と時を過ごしてみませんか?
広報おきなわ(№402)/2007年(平成19年)12月号
【写真キャプション】ジュークボックス

戦後文化シアター 今月のヒストリート「米軍基地内の標識」


 しばらく、しーぶんかん展示の資料紹介が続いていましたが、今月よりヒストリートに展示されている各資料を紹介していきます。
 ヒストリートの出入口に設置されている英文字で刻まれた頑丈なコンクリート製の標識(写真)は、米軍基地内において自動車の速度制限を示したもの(制限速度時速5マイル)。
 建設業に従事していた資料提供者によると、恩納村と金武町にまたがる「航空自衛隊那覇基地恩納高射教育訓練場」内での整地工事の際、道路脇に残っていた米軍基地時代のこの標識を見つけ、頭の部分を切り離して持ちかえったのだそうです。
 自衛隊に引き継がれる以前の同基地は、米軍の「恩納ポイント陸軍補助施設」というナイキ地対空ミサイル基地でした。米軍は基地防衛のため、嘉手納・那覇などの航空基地やメースB(中距離弾道ミサイル)基地を中心に本島8カ所にナイキを配備していました。復帰後、恩納ポイントは自衛隊の管轄となり、九○年代には旧式化したナイキに代ってパトリオットミサイルが導入されます。
 いろいろな背景をもった資料の数々をヒストリートでご観覧ください。
広報おきなわ(№401)/2007年(平成19年)11月号
【写真キャプション】制限速度時速5マイルを示すコンクリート製標識

戦後文化シアター 今月のヒストリート「幻の壱銭陶貨」


 戦後、沖縄ではB円(一九四八年以前は新日本円も共用)からドル、そして日本円と、世変わりと共に使用するお金も移り変わってきました。B円はB型円軍票の略称で、軍票とは占領地統治などの目的で発行される緊急通貨です。このように「お金」を通して見えてくる戦後の歴史がありますが、もう少し時代を遡ってみましょう。
 左の写真は名付けて「幻の壱銭陶貨」。
物資の欠乏していた戦時下の日本では、硬貨を作る材料にも事欠いていました。平時なら銀や銅が使用されますが、金属類の不足(兵器製造のために金属類は供出)の中で次第に硬貨は錫やアルミなどで作られるようになります。やがて、それさえもままならなくなり、粘土で硬貨を作ろうとしたのです。それが写真の壱銭陶貨。
 昭和十九年に開発が始まりますが敗戦を迎え未発行のまま「幻」となったのです。
 溶けてしまいそうなこのお金を見ているといろんな思いが込み上げてきます。二度とこの様なお金が生まれてきませんように。でも「あなた(壱銭陶貨)」は頑張ってこの歴史を、皆に伝え続けてね。
広報おきなわ(№400)/2007年(平成19年)10月号
【写真キャプション】しーぶんかんに展示されている「壱銭陶貨」

戦後文化シアター 今月のヒストリート「白亜紀・ジュラ紀」


 しーぶんかんでは、「白亜紀」と「ジュラ紀」の道具が展示されています。兵器を製造するために金属類の軍への供出が本格化し、金属の代りに陶器が用いられた戦中を地質時代の名を借りて「白亜紀」(白亜は白土の意味)、一方、物不足のため飛行機の材料のジュラルミンなど兵器の残骸や身の回りにあるものを生活道具に転用された戦後をジュラルミンの頭文字をとって「ジュラ紀」と呼んでいます。ジュラ紀の生活用具は戦時中、人々の命を脅かす存在であった兵器を戦後は人々を生かすために平和利用されたものです。
 ベトナムでも沖縄と同様に、「ジュラ紀」が訪れました。写真は北ベトナム大統領のホー・チ・ミンの名を冠した「ホー・チ・ミン・サンダル」という履物です。米軍用車両のタイヤを靴底とし、チューブを利用してストラップとしたもので、南ベトナム解放民族戦線の兵士たちが愛用していました。道具たちが語る「戦争と平和」の関係をしーぶんかんで学んでみませんか。
広報おきなわ(№399)/2007年(平成19年)9月号
【写真キャプション】ホー・チ・ミン・サンダル

戦後文化シアター 今月のヒストリート「転用品・代用品」


 夏まっさかり、皆様、夏バテなどしていませんか?
 今回紹介するのは左の写真。これは、アフリカのセネガルで、家のない子どもたち(ストリートチルドレン)が作ったおもちゃです。観光客が捨てていった飲料水の空き缶でおもちゃを作って観光土産品にしたもの。観光客が持ち込んだモノが形を変えて出て行くというのがおもしろいところ。
 ヒストリート分室「しーぶんかん」では世界の転用品・代用品を紹介しています。“道具”は単なるモノではなく、それが生まれてきた社会の状況を物語ってくれるもの。例えば戦時下の鉄不足には陶製の道具が大量に出回り、戦後は兵器の残骸を利用したジュラルミン製の道具が人々の生活を支える…。文字による歴史書は書き換えや削除も可能ですが、道具は真実しか伝えません。その道具が生まれてきた理由(社会背景)を教えてくれます。道具を作り出す人々の知恵や逞しさを知ると同時に、道具を通して見えてくる平和や戦争について考えてみませんか?夏休みの宿題のヒントがあるかも!子どもたちも見に来てね。
広報おきなわ(№398)/2007年(平成19年)8月号
【写真キャプション】セネガル・空き缶で作った車の置物

戦後文化シアター 今月のヒストリート「「しーぶんかん」、オープン!」


戦後文化シアター 今月のヒストリート「「しーぶんかん」、オープン!」

 去る六月七日、ヒストリートの二軒隣りに新展示室「しーぶんかん」がオープン。あいにくの雨模様にも関わらず、多くの方々が来室されました。
 「しーぶんかん」の名の由来は方言の「シーブン(おまけ)」と「分館」をかけ合わせた造語で、「See(観る)」の意味も含まれています。
オープンに際し、「世界の代用品・転用品~真実を語る道具たち~」を開催しています。これは神奈川県在住の村瀬春樹さんから寄託いただいたもので、世界各地での兵器の残骸や廃品を利用した生活用具を展示しています。創意工夫に満ちた数々の生活用具から、知恵を働かせて貧困や戦中戦後の混沌とした時代を生きぬこうとした人々のたくましさが垣間見えます。また、こうした発想が生活を支える力となったのでしょう。
 これらの貴重な資料が見学できる「しーぶんかん」をヒストリートとともに、よろしくお願いします。
広報おきなわ(№397)/2007年(平成19年)7月号
【写真キャプション】しーぶんかん

戦後文化シアター 今月のヒストリート「ヒストリートの分室がオープンします」


 六月になると沖縄では慰霊の日を控え、沖縄戦の儀牲者を悼み平和を祈念しています。一九四五(昭和二〇)年六月六日の夜、大田実海軍司令官は有名な電文「沖縄県民斯ク戦ヘリ…」を海軍次官へ送り辞世を覚悟。ところが、その翌日六月七日、追いつめられた南部の悲惨な状況からは信じられないことが、ここ沖縄市(当時、越来村)では行われました。
 村長選挙です。米軍の上陸地から比較的近いため、四月二日には嘉間良に米軍宣撫隊本部が設置されます。六月になると嘉間良収容所の人口は六千五百人にも及び、臨時市町村制が施行されたことに伴う選挙でした。早くも収容所の人々は戦後の生活、自立へ向けた第一歩を踏み出そうとしていたのです。
 さて、沖縄市の戦後自立の出発点とも言える六月七日にヒストリートは新展示室「しーぶんかん」をオープンします(場所はヒストリートの一軒おいて隣りです)。
 昨年、村瀬春樹さん(神奈川県在住)より沖縄市へ寄託いただいた資料を「世界の転用・代用品」と題し展示、戦中戦後に各地で生まれた道具を紹介します。道具たちが語る戦争と平和の歴史に耳を傾けてみませんか。
広報おきなわ(№396)/2007年(平成19年)6月号
【写真キャプション】昭和15年、米不足の中で登場した鏡もち

戦後文化シアター 今月のヒストリート「『ヒストリートガイドブック 2006年改訂版』」


戦後文化シアター 今月のヒストリート「『ヒストリートガイドブック 2006年改訂版』」

 このたび、市では『沖縄市戦後文化資料展示室・ヒストリート』ガイドブック二〇〇六年版を発刊しました(左)。これは二〇〇五年版の内容に加え、日本本土やベトナム・ドイツ・セネガルといった外国で登場した兵器の残骸や廃品を利用して作り出された生活用具の数々が収録されています。
 終戦後の沖縄では、戦禍を生き延びた人々は全てを失い、0からの出発を余儀なくされました。人々は兵器の残骸や米軍物資を利用して様ざまな生活用品を生み出しました。だが、それは沖縄に限ったことでなく、世界の戦禍に見まわれた国々でも兵器の残骸などを利用した道具が作られていたのです。
 日本本土では敗戦により国産軍用機の生産が中止になって、その材質であるジュラルミンでヤカンなどが製作され、ベトナムでもに撃墜した米軍機の残骸を利用して櫛・バリカンなど多種多様なジュラルミン製品が作られました。またセネガルでの空き缶利用の土産品など珍しいものがいっぱい。
 売り切れが予想されます。お早めにお求めください。
広報おきなわ(№395)/2007年(平成19年)5月号
【写真キャプション】緑の表紙が目印。500円