1969(昭和44)年7月、米国紙のスクープ記事によって発覚した、在沖米軍基地における「毒ガス」化学兵器の配備。当時の国連が非人道的な生物・化学兵器の製造、貯蔵、使用の禁止を各国に勧告していた矢先であったこともあり、この事実は県内外はもちろん世界中をも震撼させました。
 ただちに沖縄県民は一丸となって次々と抗議の声をあげましたが、化学兵器が沖縄島外に移送撤去されたのは71年1月、「毒ガス」貯蔵発覚から1年半後の事でした。移送先のジョンストン島へ、二次にわたって行われた作業は「レッド・ハット作戦」と称され、米軍にとっても一大プロジェクトとなりました。
 あれから51年。本市としましては、これまでにも「毒ガス移送」に関する展示会は数回開催しておりますが、「毒ガス」化学兵器が沖縄に配備された背景や、その事実発覚が日本復帰(沖縄返還)交渉に与えた影響等、その全容はまだまだ解明するまでには至っておりません。
 今回の企画展では、新たに発掘・公開された資料も含め、写真・地図、各種行政文書や新聞記事、当時の行政府主席(県知事)であった屋良朝苗氏の日記、そして日米両政府・米軍政府関係者の証言等々、さまざまな史資料を展示しました。
 市民の皆さまにおかれましては、どのような背景で「毒ガス」化学兵器が沖縄に持ち込まれ、本市や沖縄県の人々にどう影響を与えたのか。また日本復帰を目前にした沖縄がどのような状況で米軍基地をめぐる問題にあたったか等々を考える上で、この企画展が多少なりともお役に立てれば幸いです。