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1945/04/02
(昭和20年)
越来村字嘉間良に米軍宣撫隊本部が設置される。その後、一帯に難民収容所がつくられる。
1945/06/07
(昭和20年)
臨時市町村制の施行とともに村長・助役選挙が行われ、村長に読谷村出身の比嘉幸太郎、助役に美里村出身の中地庸之が選ばれる。
1945/06/08
(昭和20年)
10区の行政区が置かれる(越来・安慶田・照屋・室川)。
1945/09/07
(昭和20年)
越来村字森根(現、沖縄市。嘉手納基地内)において、沖縄戦の降伏調印式が行われる。
1945/09/12
(昭和20年)
地方行政緊急措置要綱が布かれ、古謝(胡差)市と前原市(石川市域を除く旧美里村等)が誕生する。
1945/09/26
(昭和20年)
美里村の6部落は、分離独立して石川市となる。
1945/10/23
(昭和20年)
各収容所から旧居住地への帰村許可が出る(米軍使用地を除く)。
1946/03/01
(昭和21年)
美里村桃原区内に美浦区を設置し、村役所を開所する(後日、泡瀬一区に改称)。
1946/04/04
(昭和21年)
市町村制が布かれ、古謝(胡差)市は再び越来村に戻る。
1946/07/01
(昭和21年)
敗戦に伴い、海外や県外からの引揚者受入のため、美里村高原のインヌミと中城村久場崎の両収容所が、公式に開設される。
1947/05
(昭和22年)
初の戦没慰霊祭が、美里村は美浦教会で、越来村は島袋教会で行われる。
1947/07/01
(昭和22年)
越来村嘉間良の高台に村初の宿泊所「コザ・ホテル」が開設される。
1947/12/25
(昭和22年)
クリスマスの日から、越来村と美里村の村役所に電話が開通する。
1948/04/01
(昭和23年)
学制改正により教育の六・三・三制が本土より一年遅れで実施される。
1948/10/14
(昭和23年)
第1回全南西諸島学徒体育大会が、石川市の石川高校と城前両球場で行われ、排球でコザ高校が優勝する。
1949/06/01
(昭和24年)
越来村の行政区を変更して、15区から11区に改める。
1950/02
(昭和25年)
八重島特飲街建設のため、地主との土地の賃貸契約を交わし、飲食店の建築を始める。
1950/04/02
(昭和25年)
沖縄初の競輪大会がビジネスセンター計画にさきがけ、越来村の胡屋で開催される。
1950/06/18
(昭和25年)
松本闘牛場で戦後初の村対抗闘牛大会を行う。
1950/06/25
(昭和25年)
朝鮮戦争が起こる。
1950/07
(昭和25年)
越来村、ビジネスセンター建設に着手する。
1950/09/20
(昭和25年)
越来村嘉間良にコザ中央市場が開店する。
1951/02/14
(昭和26年)
美里村営劇場「新興館」(美里村役所の裏)のこけら落しを行う。
1951/09/01
(昭和26年)
越来村、ビジネスセンターや八重島特飲街の開設に伴う人口増で、八重島区とセンター区を設け、行政区が13区となる。
1952/02/15
(昭和27年)
越来村八重島区料理屋組合主催で、往年の旧正月二十日の尾類馬行列を彷彿させる行事が行われる。
1952/02/19
(昭和27年)
越来村胡差十字路の石原タクシー、タクシー業界初の女性ドライバー(佐渡山初子さん)が誕生する。
1952/08/23
(昭和27年)
八重山開拓移民第二陣で泡瀬区民らが桴海地区(石垣島)へ向け出航する。
1953/04/15
(昭和28年)
室川小学校、センター区への移転に伴い、胡差小学校に校名を変更する。
1953/06
(昭和28年)
越来村西森区に、胡差火葬場が開設される。
1953/09/14
(昭和28年)
越来村胡屋峡谷に越来ダム(現、こどもの国)が建設され、竣工式が行われる。
1953/11/11
(昭和28年)
米軍司令部、沖縄駐留の米兵に対し、軍の許可書(Aサイン)を有しない飲食店への立ち入りを禁止(オフ・リミッツ)する。沖縄でAサインが初めて発行される。
1953/12/22
(昭和28年)
「コザ市」建設と商工業の発展を願い、第1回コザ商工祭が行われる。
1954/01/15
(昭和29年)
多和田真淳さん(植物・考古学者)、八重島貝塚を発見し、沖縄最古の貝塚と推定する。
1954/04/20
(昭和29年)
越来村と嘉手納航空隊は相互信頼を深めるため、琉米親善協会を設立する。
1954/07/04
(昭和29年)
中の町が誕生し、町内広場で命名式が挙行される。
1954/07/06
(昭和29年)
旧ライカム(琉球軍司令部の略称)入口に外商百貨店「プラザ・ハウス」が開店する。
1954/07/08
(昭和29年)
衛生検査で不合格のため、越来村にオフ・リミッツ発令される。
1955/05/05
(昭和30年)
沖縄公衆衛生看護婦学校の開所式を胡屋の沖縄中央病院で行う。
1955/05/23
(昭和30年)
防犯隣組の第一号として、「センター区上大通隣組防犯組合」が結成される。
1955/07/17
(昭和30年)
美里村高原の女性らが、花嫁移民として南米(アルゼンチン)へ那覇港から出発する。
1955/08/31
(昭和30年)
米軍によって集落を強制接収された宜野湾村の伊佐浜区民が、美里村高原のインヌミ収容所跡へ移住する。
1955/10/23
(昭和30年)
軍用地料の一括払い、軍用地の新規接収問題などで、プライス調査団が沖縄を訪問・調査する。
1955/10/29
(昭和30年)
キャピトル館、中部で初めてシネマスコープ(ワイド・スクリーン)を上映する。
1955/11/25
(昭和30年)
東京銀座の御木本真珠店、「御木本パールズ・オキナワ」をプラザ・ハウスの向かいに開店する。
1955/12/18
(昭和30年)
美里村泡瀬一区の舞踊劇「京太郎」が30年振りに復活し、泡瀬琉映館で披露される。
1956/06/13
(昭和31年)
越来村、名称をコザ村へ変更する。
1956/06/20
(昭和31年)
全島一斉の住民大会に合わせ、コザ村では諸見小学校運動場において、四原則貫徹村民大会が開かれる。
1956/07/01
(昭和31年)
コザ市誕生(市制が施行されてコザ村からコザ市に昇格。人口35,226人)。同時に行政協定によって北谷村桃原区と北中城村島袋区もコザ市に編入される。
1956/07/15
(昭和31年)
オフ・リミッツの警告を受け、街の美化と品位の向上を目指し、コザ市でエアベース通り会が結成される。
1956/07/16
(昭和31年)
米軍の土地買い上げ一括払いに対し、美里公民館で「土地を守る会」が結成される。
1956/07/23
(昭和31年)
「コザ市土地を守る会」が、結成大会を開催する。
1956/08/08
(昭和31年)
米軍、プライス勧告反対への報復処置として中部地区への無期限オフ・リミッツを発令する。
1956/08/14
(昭和31年)
コザ市に限り、オフ・リミッツが解除される。
1956/08/26
(昭和31年)
第1回全島エイサーコンクールが、コザ小学校で開催され、勝連村比嘉区青年会が優勝する。
1956/12/25
(昭和31年)
百貨店「きゆな」が、胡屋大通りに新築落成する。
1957/01/23
(昭和32年)
中部の各市村長・商工関係・風俗業関係者による「生活を守る会」の結成大会が、センター区で開催される。
1957/02/26
(昭和32年)
久保田区を比嘉区に改称することを決議し告示する。
1957/04
(昭和32年)
コザ市の治安強化のため、特殊電話百十番(胡差警察署長)と百十七番(コザ市長―消防署)を胡屋区に設置する。
1957/07/01
(昭和32年)
吉原区、美里村の新設行政区として発足する。
1957/07/20
(昭和32年)
美里村、美里中学校校庭に建設した慰霊塔の除幕式を兼ねて慰霊祭を行う。
1957/08/25
(昭和32年)
コザ市コザ小学校西側の丘で慰霊塔の除幕式を行う。
1957/09/01
(昭和32年)
コザ市山里区に、私立中央高等学校(理事長潮平親誼、校長新屋敷幸繁)が、創設される。
1957/09/21
(昭和32年)
コザ市センター区にある沖縄風俗営業組合連合会は、名称を「沖縄Aサイン組合連合会」と改称する。
1958/01/08
(昭和33年)
コザ市センター通り(中央パークアベニュー)の道路舗装工事が完成する。
1958/05/13
(昭和33年)
戦後初の中学校新卒女子の集団就職で、コザ中学校等の女子たちが岐阜県の製紙工場へ出発する。
1958/07/10
(昭和33年)
コザ、美里、北谷を地域とするコザ地区質屋組合の結成総会がコザ市の料亭「新橋」で開催される。
1958/08/22
(昭和33年)
コザ市、家庭給水が始まり、第一号が比嘉真市市長宅へ引かれる。
1958/09/16
(昭和33年)
コザ地区警察署がセンター区(琉球政府立コザ病院隣り)に巡査派出所を開所する。
1958/09/18
(昭和33年)
B円から米ドルに通貨を切り替える。
1958/09/26
(昭和33年)
コザ市内、青バスが運行開始する。
1959/03/04
(昭和34年)
風紀と衛生が悪いという理由でオフ・リミッツとなっていたコザ病院一帯(センター区)が、4年ぶりに解除される。
1959/05/02
(昭和34年)
コザ市が建築を進めていた福祉長屋1棟が山内区に完成する。
1959/05/23
(昭和34年)
コザ市、嘉手納村、読谷村と嘉手納航空隊等の共催による米琉親善カーニバルが開かれる。
1959/11/15
(昭和34年)
国際短期大学(理事長潮平親誼)の開学式及び中央高校創立2周年式典が開催される。
1960/03/01
(昭和35年)
美里村字知花に琉球アスファルト工業株式会社の工場が建設され、落成式が行われる。
1960/04/23
(昭和35年)
コザ市琉米親善センター(上地)、落成祝賀会を開催する。
1960/06/30
(昭和35年)
コザ市住吉区に市営の畜殺場が建設される。
1960/09/30
(昭和35年)
泡瀬干拓事業の起工式が行われる。
1960/12/03
(昭和35年)
コザ市初の公衆便所がコザ市琉米親善センター前に完成し、一般の利用に供される。
1961/01/25
(昭和36年)
コザ市山内区に琉球少年院が建設され、落成式を行う。
1961/04/21
(昭和36年)
演劇集団”創造“が、コザ市城前区公民館で結成大会を開催する。
1961/11/07
(昭和36年)
コザ市サービス業連合会の結成大会が、コザ市琉米親善センターで開催される。
1962/01/31
(昭和37年)
コザ市観光協会が発足する。
1962/04/21
(昭和37年)
コザ市山里に国際大学が開学し、入学式が行われる。
1962/06/07
(昭和37年)
米軍のAサイン発給を機に、コザ市サービス業連合会は、同会の発展的解消により、コザ市Aサイン協会を設立する。
1962/06/24
(昭和37年)
コザ市センター区、公民館落成祝賀会を行う。
1962/09/20
(昭和37年)
コザ市越来の伊礼家と山内のウガンで、越来節の歌碑の除幕式が行われる。
1962/11/04
(昭和37年)
美里村松本闘牛場で、第1回全島闘牛大会が行われる。
1963/01/21
(昭和38年)
桃山中学校、山内中学校に校名を変更する(4月6日に開校式)。
1963/01/23
(昭和38年)
コザ市山内(琉球少年院西側)に建築された琉球少年鑑別所の落成式が行われる。
1963/02/16
(昭和38年)
コザボーリングセンターがコザ市嘉間良に完成し、落成祝賀会が行われる。
1963/07/01
(昭和38年)
市町村自治法の改正で、コザ市では区長制が廃され、自治会が誕生する(越来・山内はすでに実施)。
1963/07/30
(昭和38年)
美里村泡瀬内海の埋め立て工事が完成する。
1963/08/01
(昭和38年)
Aサインの新基準が、全琉で一斉に施行される。
1963/09/07
(昭和38年)
精神薄弱児を育成しようとコザ市に土曜学校が設立され、その開校式が胡屋のバプテスト伝道所で行われる。
1963/10/04
(昭和38年)
Aサイン新基準の実施に伴い、コザ市にAサイン協議会が誕生する。
1964/03/07
(昭和39年)
コザ市照屋区にMP(憲兵)詰所が設置される。
1964/06/01
(昭和39年)
コザ市安慶田小学校で完全給食が実施される。
1964/07/06
(昭和39年)
中の町で全琉初の下水道工事起工式を行う。
1964/09/08
(昭和39年)
東京オリンピックの聖火が、市内を通過する。
1965/01/26
(昭和40年)
コザ市立保育所第1号の「山内保育所」が開所する。
1965/02/01
(昭和40年)
第37回選抜高校野球大会にコザ高校が選ばれる。
1965/07/28
(昭和40年)
台風避難の理由で、米空軍B52爆撃機が大量に嘉手納基地へ緊急着陸する。
1965/08/30
(昭和40年)
美里村松本の沖縄紡績KK工場完成を祝い、綿入れ式を行う。
1965/09/10
(昭和40年)
琉球政府厚生局保険庁の出先機関である各地区の保険事務所が、コザを初めとして一斉に業務開始する。
1966/04/01
(昭和41年)
琉球政府立コザ病院が、具志川村に移転する。
1966/07/29
(昭和41年)
沖縄で初めての50メートルプール(コザ市営)でプール開きが行われる。
1966/11/26
(昭和41年)
コザ市嘉間良に、市内唯一の家具センター(山根家具センター)が誕生する。
1967/01/07
(昭和42年)
美里村泡瀬特設グラウンドで、沖縄初の第1回沖縄自動車レースが開催される。
1967/02/28
(昭和42年)
中央公園(コザ市胡屋)が開園する。
1967/08/29
(昭和42年)
コザ市の基地関係業者による「即時復帰反対協議会」が結成される。
1968/03/12
(昭和43年)
コザ商工会議所は米軍の減少による購買力低下の打開のため、センター公民館にAサイン業者や ホテル関係者などを集め、コザ市Aサイン組合を結成する。
1968/04/08
(昭和43年)
琉球政府中部産業技術学校(現、美里工業高校)が美里村泡瀬に開校する。
1968/05/08
(昭和43年)
琉球農連中部青果市場が旧コザ畜殺場跡(コザ市嘉間良)で開市、完成レセプションが行われる。
1968/11
(昭和43年)
コザ市中の町小学校に、中部で初めての体育館が完成する。
1969/03/19
(昭和44年)
美里村泡瀬の埋め立て地に村営住宅が造られ、引き渡し式が同住宅の中庭で行われる。
1969/07/08
(昭和44年)
美里村知花弾薬庫(米軍基地)で毒ガス漏れ事故が発生し、軍用員24人が病院に収容される。
1969/08/04
(昭和44年)
コザ市、中央高校ボクシング部が全国高校総合体育大会(群馬県など)で、全国制覇を果たす。
1969/08/30
(昭和44年)
コザ市照屋の特飲街で、麻薬捜査に来た白人CID(米軍の犯罪捜査隊)の発砲に怒った黒人兵約350人がMPカー2台を炎上させるなど暴動を起こす。
1969/10/31
(昭和44年)
美里中学校で5,000人参加の「弾薬輸送阻止・毒ガス兵器撤去要求県民総決起大会」が開かれる。
1970/02/20
(昭和45年)
胡屋十字路に市内初の横断歩道橋が開通する。
1970/07/11
(昭和45年)
中頭教育会館がコザ市仲宗根に完成し、落成式を行う。
1970/10/01
(昭和45年)
沖婦連などの婦人有志は「売春対策協議会」を結成、そこにコザ市婦人会が参加する。
1970/12/20
(昭和45年)
コザ市でコザ暴動起こる。米軍車両82台が炎上し沖縄住民と米軍武装兵が衝突する。それにともない20~30日までオフ・リミッツが発令される。
1971/01/13
(昭和46年)
第一次毒ガス移送。知花弾薬庫貯蔵の毒ガス150トンを登川・池原集落を通り、天願桟橋まで運ぶ。沿道の住民5,000人が避難し、小中学校は臨時休校となる。
1971/02/03
(昭和46年)
全軍労ストをめぐり「コザ市の窮状を打開する懇談会」が、コザ市ゴヤホールで開かれる。
1971/03/31
(昭和46年)
コザ市倉敷に沖縄初の完全焼却施設・ゴミ処理場が、落成する。
1971/07/15
(昭和46年)
第二次毒ガス移送が開始される。(~9月9日)
1971/08/17
(昭和46年)
コザ市センター通りで黒人兵と住民が対立し、第二のコザ騒動事件が発生する。それをうけて、コザ全域に12時間のコンディション・グリーンが発令される。
1971/11/12
(昭和46年)
コザ市の中頭教育会館で、バーバラ・ディーンらによる反戦フォーク集会が開かれる。
1971/12/13
(昭和46年)
米女優のジェーン・フォンダさんらFTA(自由劇団)が、コザ琉米親善センターで反戦劇を行う。
1972/01/15
(昭和47年)
コザ市照屋で、黒人団体によるキング牧師追悼集会が開かれ、コザ十字路から宜野湾市のキャンプマーシー前まで追悼行進が行われる。
1972/01/20
(昭和47年)
コザ市出身の東峰夫さんが「オキナワの少年」で芥川賞を受賞する。
1972/05/15
(昭和47年)
日本復帰が実現し、沖縄県となる
1972/05/15
(昭和47年)
各通貨交換所で通貨交換を開始する。通貨交換レートは1ドル対305円となる。
1972/05/15
(昭和47年)
売春防止法が施行される。
1972/09/26
(昭和47年)
コザ市、「国際文化観光都市」を宣言する。
1972/09/30
(昭和47年)
コザ市嘉間良のコザ中央市場が火災、7棟を全焼する。
1972/12/21
(昭和47年)
コザ市は、「市民の木」にビロー、「市民の花」にハイビスカス、「市の指定する観葉植物」にクロトンを決定する。
1973/03/28
(昭和48年)
沖縄Aサイン組合連合会が解散する。
1973/05/03
(昭和48年)
沖縄特別国民体育大会(若夏国体)が開催、コザ会場では軟式野球、ハンドボール、サッカーの競技が行われる。
1973/08/10
(昭和48年)
コザ市、「第二ゲート通り」が「空港通り」に改名する。
1974/02/18
(昭和49年)
コザ市諸見里と北谷村伊平を結ぶ国体道路(県道23号線)が開通する。
1974/04/01
(昭和49年)
旧コザ市と美里村が合併し、沖縄市が誕生する。
1975/02/02
(昭和50年)
第1回沖縄市マラソン大会を開催する。
1975/08/22
(昭和50年)
第1回沖縄まつり、江戸上り行列とカチャーシー流しの大パレードが展開される。
1975/11/28
(昭和50年)
一番街のアーケードとカラー舗装の落成式が行われる。
1977/09/04
(昭和52年)
第1回全島エイサーまつりが市営陸上競技場で行われる。
1978/07/30
(昭和53年)
交通方法が変更。車は右から左側通行となる。
1982/02/04
(昭和57年)
広島東洋カープ、沖縄市で初キャンプを行う。
1985/08/10
(昭和60年)
沖縄市営球場で第3回ピースフル・ラブ・ロックフェスティバルが開催される。
1987/01
(昭和62年)
瑞慶山ダムの嵩上げ工事により、26年ぶりに倉敷の集落が浮上する。
1987/09/11
(昭和62年)
美東中学校男子バスケットチームが日本一となり、祝賀会を行う。
1990/04/01
(平成2年)
比嘉自治会が久保田自治会に名称替えをする。
1991/08/17
(平成3年)
沖縄カーニバルを開催する(‘93年から沖縄国際カーニバルとなる)。
1991/09/18
(平成3年)
沖縄市宮里の渡名喜元完さん(106歳)、男性長寿日本一となる。
1993/03/07
(平成5年)
第1回おきなわマラソンが開催される。
1993/04/01
(平成5年)
9月7日を市民平和の日と定める。
1994/02/06
(平成6年)
キジムナーフェスタ(‘94国際児童・青少年演劇フェスティバルおきなわ)が開幕する。
1994/04/04
(平成6年)
嘉手納基地第3ゲート北側の黙認耕作地に訓練飛行中の米軍F15イーグル戦闘機が墜落する。
1997/03/01
(平成9年)
FMラジオ放送局「FMチャンプラ」が開局する。
1997/03/19
(平成9年)
沖縄市が毎日・地方自治大賞奨励賞を受賞する。
1997/11/28
(平成9年)
大型ショッピングセンター「コリンザ」がオープンする。
1998/12/11
(平成10年)
沖縄タイムス出版文化賞・特別賞に『エイサー360度』が受賞する。
2000/04/15
(平成12年)
諸見小学校ミニバスケット男子チームが全国大会で優勝し祝賀会が行われる。
2000/05/26
(平成12年)
「G8サミット文化フェスタ・アメリカンフェスティバル」が沖縄市民会館を主会場に開幕する。
2000/08/02
(平成12年)
市出身の島袋正雄さんが人間国宝に認定され、市民会館中ホールにて祝賀会が行われる。
2002/04/01
(平成14年)
市政情報公開制度がスタートする。
2005/09/07
(平成17年)
沖縄市戦後文化資料展示室「ヒストリート」がオープンする。
2007/06/07
(平成19年)
ヒストリート分室「しーぶんかん」がオープンする(平成21年3月31日閉室)。
2007/06/13
(平成19年)
エイサー文化の継承・発展とエイサーを通した青少年の健全育成、エイサーの活用による地域活性化を目的とし、沖縄市が「エイサーのまち宣言」を制定(宣言は8月30日に行った)。
2007/07/27
(平成19年)
コザミュージックタウン「音市場」がオープンする。
2008/04/03
(平成20年)
沖縄市立比屋根小学校・幼稚園 開校式
2008/04/30
(平成20年)
こどもたちが夢に向かって元気にたくましく育つ環境づくりを目的として、沖縄市が「こどものまち宣言」を制定(宣言は5月5日に行った)。
2008/11/08
(平成20年)
越来城水辺公園の竣工式典が行われる。
2009/05/03
(平成21年)
沖縄市泡瀬パヤオ交流広場の竣工式典が行われる。
2009/09/07
(平成21年)
沖縄市戦後文化資料展示室「ヒストリートⅡ」がオープンする。
2009/11/20
(平成21年)
沖縄市と東海市(愛知県)の姉妹都市提携が行われる。
2010/03/26
(平成22年)
県内外をはじめ、アジア各国から多くのアーティストが集う沖縄初のイベント「沖縄国際アジア音楽祭musix2010」が開催される。
2010/04/14
(平成22年)
沖縄市母子生活支援施設「レインボーハイツ」の落成式典が行われる。
2010/05/15
(平成22年)
沖縄市体育館の落成式典が行われる。
2011/07/25
(平成23年)
沖縄市立ふるさと園の「旧久場家住宅 主屋」、「旧久場家住宅ヒンプン」、「旧平田家住宅マチフール」が、文化庁の登録有形文化財に登録された(指定記念式典は21日に行われた)。
2011/10/23
(平成23年)
沖縄市コザ運動公園にて、「第1回コザAランチ選手権」が開催される。